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第7回信越県境地域づくり交流会へ

講演・講習・説明会・勉強会、みたいなの
12 /07 2018
12/7 「第7回信越県境地域づくり交流会」へ

「第7回信越県境地域づくり交流会」なるものがオーレンプラザで開催される。
これまでも開催されていたけれど遠かったり都合が合わなかったりで行けなかったんだよね。
や、実際こういうことに携わっているわけではないけれど、こういう話し合い聞くのは面白いし、なにかきっかけやヒントになればいいなあってさ。

今回は「ミュージアムと地域づくり」というテーマ。
それだけでももう十分面白そうだもん。

ってことで、行ってきまーす♪
おじゃましまーす
オーレンプラザにやってきました。
写真展
ロビーではこんな写真展示が。
県の都市緑化センターでこんな企画やってたのか。最近は冊子「GreenSketch」も読んでなかったもんなー(^_^;)
こちらです
会場はこちら。受付をして中に。

はじまるよ
場所確保し開始まで会場のスクリーン見たり受付でもらった資料見たり。

開始時間になりました。
司会さん
司会の方
ご挨拶
実行委員会から挨拶
ごあいさつ
市長の(来賓)挨拶
開会しまーす
事務局から挨拶

でははじまりはじまりー
こんなエリア
まず、イントロダクションとして信越県境地域とはこんなところだよーという紹介
こんなとこ
そして今回のテーマ
こんなとこ
パネルディスカッションの登壇者が携わってるミュージアムはこんなトコだよーという紹介

そして基調講演は長野県立歴史館長・信州大学名誉教授 笹本 正治さん
基調講演
んー、笹本さんってどこかで見たことがあるような気がするんだが…
これも

これも

講演資料

これも
基調講演用に長野のミュージアム・博物館について資料揃えたんだろうなってのが分かる。
そしてそのまとめ方もさすがだなぁと。
講演聴いてて、うんうんあの博物館ああだもんなあ、この資料館もそうだしなぁ。。。ってあの場所この場所が良くも悪くも浮かんでしまったことよ。

講演が終了し、第2部のトークセッションとの間にちょっとブレイクタイム。
ちょっとブレイク

パンフいっぱい
信越県境地域のミュージアムパンフがずらっと並ぶ。(ご自由にどうぞ)

第2部のトークセッション 「ミュージアムを活かした地域づくり」はじまりはじまりー
コーディネーター

パネルディスカッション

その2
・野尻湖ナウマンゾウ博物館館長    近藤 洋一さん 
・水野美術館学芸員             高田 紫帆さん
・十日町情報館主査             高橋由美子さん
・上越市立水族博物館うみがたり館長  櫻 健太郎さん
の4方がパネリストとして、そして特別ゲストとして国際日本文化研究センター 国際交流基金フェロー キャロリン・ワグーラさん。
(トークセッションの進行役は基調講演された笹本さん
キャロリンさん

出身地
まずはキャロリンさんの挨拶と出身地、活動の紹介など。
それにしても流暢な日本語でびっくりした。。。すごい。

続いてパネラーの方たちの携わっているミュージアムについての紹介・説明など
こんなとこ
ナウマンゾウ博物館以前行ったことがあるが今年3月にリニューアルしたそうだ。
また行きたいのもあるが、それ以上に掘りたいw
こんなとこ
うみがたり、せっかくシーズンパス買ったんだからもっと行かねばー
こんなとこ
水野美術館浜省ライブの時に行ったんだよねー。雨だったのが残念だったけど…でも展示も施設もいかったー♪
こんなとこ
十日町情報館(図書館)は映画「図書館戦争」のロケ地なのは知ってるし近くまで行ってもいるんだけど中に入ったことはまだないんだよね。。。

水野美術館はあの「ホクト」の創業者さんが郷土にご恩返しに建てたものだそうだけど、上越にはそういう大企業さんが自身のコレクションを…というのや郷土の偉人をたたえるような施設を郷土の(市民の)ためにってのないのかなー。
新潟の敦井美術館とか、以前のBSN美術館みたいなのさー。そういう文化事業(施設)で市民に還元、ってないのかねー。。。

美術館にしろ博物館にしろ「ミュージアム」って場は人とモノ・人と人の出会いの場であり情報を得られる場所、地域の文化を守る場所であり地域住民のためのものでもあるということ。
自分たちが生きてきた「場」の過去を知り未来へつなげていくためのものだと。その「生き方」「郷土の人」等を知ることで「場」への尊敬にもつなげられることができると。「場」を持続して継続させ、未来のために何ができるかと。

その中で「(博物館は)ただ過去のものだけを展示しておく場所になってはダメ」とも言われていたけれど、実際ただ古いものを置いておくだけという所の多さよ。。。
加えて市町村合併で既設の小さなミュージアムがどんどんなくなっていくとも。
だよね、地域の小さな博物館や資料館に記念館に美術館、どんどん縮小や廃止になってるもんね。
そういうところがなくなっていくと「おらがまちじまん」というものがその町に住む人にすら忘れられるという過去との分断も起こってしまう。。。

そういう目で見ると、小川未明館は童話コンテストや絵画コンテストなどで「今の人たち」も取り込んでて大したもんだとも言えるわな。
ただ童話という特化されたジャンルだけども。

トークセッション、笹本さんも興が乗ってきたのかw予定時間延ばしちゃうよ宣言して結局終了は30分オーバーの18時半ww
おもろかったー。
閉会挨拶
閉会挨拶。このあとコアな方たちは懇親会があるんだけれど、自分はここまで。

ミュージアムに携わる方たちもいろいろ大変だけど、でもやっぱりそのジャンルが好きなんだなー♡となんかうれしくなりました(^^)
特に、水野美術館の高田学芸員さんの美術品好き好きオーラが伝わってきて、うんうん、その「好き」な気持ちよくわかるぞーとw


あーミュージアム行きてぇーーーー!!←結果ここに着地w


笹本さん、なーーーんか見たことあるんだよなぁ。なんの時だったかなーと帰宅後調べてみたら、妙高戸隠エリアが上信越高原国立公園エリアから独立した国立公園記念シンポジウムの時のパネルディスカッションのコーディネーターされた方だった。
当時は「信州大学地域戦略センター長」だったけどね。

「これからの地域と仕事(はたらきかた)の未来を語ろうin高田世界館」へ

講演・講習・説明会・勉強会、みたいなの
11 /13 2018
11/12 「これからの地域と仕事(はたらきかた)の未来を語ろうin高田世界館」へ

先細る地方に危惧し「なんか動かなくちゃ!」という一念で地元求人誌の編集長・池田さんが立ち上げたイベント「これからの地域と仕事(はたらきかた)の未来を語ろう」というトークセッションが高田世界館で開催される。
ってことで行って来ました。
本日開催
行けるかどうかギリギリまで分からなかったので当日券にしました☆

ごあいさつ
セッション開始に先立ち、主催の(株)桐朋の社長の挨拶。
求人誌事業をやってると、やはり地元企業の衰退も感じてしまうそうで…。

今回のパネリストは
パネリスト1
ライター/フォトグラファーの五十川ルリ子さん
NPO法人しごとのみらい理事長&サイボウズ勤務の竹内義晴さん
パネリスト2
月刊「ソトコト」編集長の指出一正さん
上越市自治・市民環境部長の影山直志さん

竹内さんがトークセッションの舵取り・まとめ役みたいな感じで進行。
紐解く
今日はこういうことについて語り合います。

まず[地域の現状&未来予想]として、影山さんが夕張の例を元に上越の将来を、指出さんが島根の「人の奪い合いをせずにお互いが幸せになるシェア方式」を例に挙げる。
切り口いろいろ
上越の人口推移
メニュー2
島根の取り組みから

[移住者目線と地元民目線]
メニュー3
移住…若者のコミュニティの場がない、情報が少ない、内輪的
地元…実際従来からの(道普請なども含む)地域コミュニティは難しくなっている…が、年配になればなるほど「俺たちはこうやってきた(ので今のしょもできるはず)」という固定観念が強い。
…ってことは、地元年配者は危機感がなく現実を見ようとしないってこと?
それとも過疎でうちらの代でここはもういいわって諦めてる?

[破綻と再生]
メニュー4
夕張の破綻の顛末からの現在の再生
行政に頼らず自分たちでも動く。他所からの助っ人も。
…ってことは、予算担当課やエライさんたちがそれまで辻褄合わせできたけどそれもかなわなくなり破綻となったけれど、一般職員は報じられるまで自分の市がそんなになってるとは知らなかったそう。
じゃあ、ヘタしたら上越だってもしかしたらそういうことがないとは言えないよね。
あと、夕張は再生のため税金が高いそうだけれど、こんな高くちゃ俺たち生活できねー!と市を出て行く人もいるだろう。
そうなると更に個人負担が増えることになるから、また更に人口が減り、市として人口も行政も機能できなくなる限界集落ならぬ限界市で将来消滅なんてことになる可能性はどうなんだろうか。
そこまでひどくはならないだろうけど…

[関係人口/関係案内所]
・その地に住んでなくても、その地を愛する人を、愛するような流れを作る。いきなり移住はハードル高すぎ。
メニュー5
・都会の若者は田舎に飢えているふるさと難民
・「関係人」が集える、そこに行けば必ず関係人や関係人を迎え入れる(地元民)人が誰かいるそんな場所…関係案内所が必要
…ってことはさ、やっぱ地元からの「発信」だよねー
あとは受け手の受信感度?
「「住みやすい」とか「いきいきと暮らせる」ようなフレーズでその地をPRするような行政には若者は飛びつかない」とも言ってたけど、それなら「スタバはないけどスナバはある」的な自虐風刺的な方がココロに引っかかったりすんのかな。
どっちにしても、地元民がその地を好きで、自分たちがその地で楽しめないと(そしてそれを発信できないと)、そしてその楽しみを外の人にも(外の人を受け入れて)シェアできないと難しいだろうなぁ…

[複業/多拠点ワーク/居住]
副業ではなく複業。流動創生。国もそういう流れを考えている。しかし従来の企業のやりかたから見るとそのシステムは難しい
もともと人は対価あるなしに関わらず複業している。
メニュー6

ネットがあるこのご時勢、都会に行かずとも情報のやり取りも(仕事も)できる。
このご時勢、1箇所にとどまらずとも多拠点で働くことも可能ではないだろうか。

そして参加者からの質問にパネリストが答える質疑応答タイム。
↓パネリスト回答
・よく受け入れ側は来る側をファン・ボランティア・サポーターとしたがるが、それではダメで、住んでなくてもその地域を動かすプレイヤーとして・仲間として認めるべき。
その分野が好きな人だけ集めればいい。そして交流の場を持つべき。
・地元の(田舎の)人は温かいと思っていたがそうではなかった場合もある。土地の人から温かくされればその土地も好きになる。
あと好きなこと(釣りやスキー等)ができる場所であることこれ大事。
・今回話したような(具体的な)取り組みを上越市ではやっているのか、またプランとして持っているか⇒現在ではまとまっていない

ある質問された方が十日町の方だったんだけども、自分には十日町は大地の芸術祭があるから、作家さんにしろこへびさんたちにしろ来場者にしろ、いわゆる「余所者」への受け入れ精神が上越より高いイメージだったので質問出たときにちょっと驚いてしまった。
関係人口に至っては謙信公祭の時一緒の隊だった方が、県内の方なのに県外の歴史ボランティアガイドとして通ってるって聞いてビックリしたんだけど、それだってやっぱり関係人口っていえるよね。
「よく来るけど何しに来てんだあの余所者」ではなく「うちらの地が好きなんだなぁ仲間だなぁ」と受け入れられるかどうか。

指出さんが揚げた事例は以前のトークショーで話されたことでもあったので今回は別の事例も聞きたかったけど(^_^;)。
そして、SNSやネットはそのモニター画面の先には当然人がいるんだけど、でもそれだけじゃなく、社会ってのはリアルな人と人とのやりとりでもあるから、直接人と対面する仕事に至ってはどうなのかな。
あと田舎だとそのネットすらつながらなかったりね。実際自分の里山ではつながらんw

そして、都会の若者はいいんだけど、地元の若者には?「つまんねーし、金ねーからやってられねーし、なんもねーし」みたいな「ねーし」な彼らに「オレの住んでるとこおもしろい」となって行動してもらうには?
「出る杭叩き」が非常に高い土地柄でつぶれず「楽しむ」をキープするには?叩く人たちも取り込むには?
そしてやっぱり「それ(好きなこと)で実際食っていけるか」これも大事だし。

出る杭叩きってのは他人を落として自分を上げないとダメという考え方をみんなそれぞれが変えなきゃいけないことだけど、これがなかなか難しいんだろうな。それができればいじめやらハラスメントなんてとっくになくなってるだろうし。

人口減少はその土地土地の話ではなく、日本全体の話。
少子化で各学校が子供というパイの取り合いしてるけど、それと同じで土地が人の奪い合いしてる現状では結局うまくないのは確か。それでも頭数は減っていくのだから、これからの人たちに増やしてもらうしかないのだけど、いわゆる先進国傾向というか国の施策というか…子供を育てにくくなってるからこりゃまたどうしたものかとも。

閉会挨拶
閉会の挨拶

自分、だから実際何ができるのよってのもあるけれど、そして他の地域の事例がこの地でも当てはまるもんでもないけれど、マネが成功するとも言えないけれど、でもそれぞれの分野からのそれぞれの視点からのお話聞けてとても有意義な時間でした。
advaのスタッフのみなさん、そしてこの企画を立ち上げた池田さん、大変お疲れさまでした。
ありがとうございました!

雪降るけど、上越地方っていいとこだと思いますよ、はい。



国宝謙信公太刀収集事業についての市民説明会

講演・講習・説明会・勉強会、みたいなの
12 /23 2017
12/23 その2 国宝謙信公太刀収集事業についての市民説明会へ

みゅーじかる☆高田笑劇場の新人公演を見たあとは、こちら。
上越市教育委員会主催の「国宝謙信公太刀収集事業についての市民説明会」へ。

国宝の謙信公の太刀を3億2千万で買うという話が出て、それについてすったもんだあって、、寄付金も集めて、予算も下りて、あとは刀が上越市にやってくるだけなのだろうと賛成反対関係なく市民のほとんどは思っていたわけだが、なかなか来るという話がこない。
そして、やっと届いた刀の話は「交渉難航」となにそれどういうこっちゃ状態。
それでも交渉は続けていくということだったがその後「太刀収集を断念した」と。

断念したことについての議会承認は(議会の話だし)おいといて、この収集事業についての経緯の説明会があるというので、これは聞きに行かねばということで会場の春日謙信交流館へ。

通路は土足でいいけど部屋には土足厳禁なのだな。
ということで中へ。
説明会1
前には3人。横には市の方々が何人も。あとマスコミ系。
参加者は…祝日昼間で若い人や女性も2回目の18時の会よりは来やすいかなと思っていたけれど、ほとんどが男性、それも年代が上の方たちだった。
まあね、クリスマス絡む連休だしね、そりゃわからんでもないけどさー(^_^;)
説明会2
配られた資料。
めくればこれまでの経緯がずらーっと。
写すのも大層なんで、1月15日号の広報上越のリンク(pdf) →
市のサイトの経緯説明→

で、ここに書かれていることを読み上げて、質疑応答とのこと。
説明会3
前の3人は真ん中が野澤教育長、向かって左側が教育部長の柳沢さん、右側が文化行政課の中西さん

質問・意見
・行政の進め方に落ち度はなかったというが実際はどうなのか。反省謝罪がないのはなぜか。
 →「行政のルール」の範囲ではやることはやった。それについては落ち度はないと思っている。
  行政のやり方では所有者の希望に添えず、断念したことに対しては市民に申し訳ないとは思う(がルールは逸脱できないしその辺りご理解いただきたい)

・所有者を訴える気はないのか
 →(これもなんかよくわからない答えだったのだが)実際に払ったが実物が来ないという話でもないので訴える気はない

・寄付金の返還はいつか。どうするのか。返還金に税金はかかるのか。
 →手続きについては判明している寄付者については連絡している。税金はかからない。
   (それについてかなり込み入ったやり取りがあったのだが、話がずれてきたのもあって自分の頭では理解できず)

・(所有者と縁ができたのだし)レンタルはできないものか。
 →今すぐという話では難しいが、それも考えていきたい

・国宝制定はいつか。
 →国宝指定は昭和15年。戦後の昭和25年に法改正されたが国宝指定はそのまま

・レプリカは作らないのか。
 →本物が頓挫したからレプリカというのはメンタル的にどうなのか(レプリカ作成は考えていない)

・上越市との話は流れたが、他に買うところがあるのではないか。
 →公共は評価額でしか買えない。
   公共は非課税だが民間が買う場合は税金がかかる。所有者の税金分を加算した希望額で購入するところがあるかどうか、その後については市としても注視したい。

・県や他の市との連携購入はできなかったのか。
 →公共の買い物は一定のルールがある

・寄付金は春日山整備に力を入れてほしい。
・寄付金は使い道をはっきりさせてほしい。
 →そういう声も考慮します

その質問は刀の話じゃないだろうというようなものや、聞きたいことをメモ書きしてきたのはいいが話が広がりすぎて何が聞きたいのかよくわからないものや、そういうやりとりについていけなくなった参加者がヤジというか話ぶった切ろうとしたり、それってどうよと思わせられるようなものも見受けられたり。
(だから年配男性は人の話を聞かないんだ、と思わずにはいられないようなシーンも)
説明会4
つまりは、こっちは鑑定評価額でしか買えない自治体(公共)と、税金取られる分考慮した価格提示した所有者の間に妥協点はなかったってことだろう。自治体は民間のような買い方はできず、民間である所有者は自治体の買い方では納得できないと。
仲介者立てて双方の落としどころで…も自治体ルール逸脱する可能性あるのでそれもできなかったんだろうなぁ。

自分は、説明にあった「歴博から6月に情報提供受けて翌日から所有者の情報収集を開始し、所有者に連絡を取った。その時所有者は上越市のことをまったく知らなかった。…のでパンフレットなど市について理解してもらい9月に所有者と一回目の面会をした」ってところが引っかかったんだよね。
たしか去年末の説明会では「謙信公とゆかりの地にあるところに返したい」という話で上越が手を挙げたら「ふるさとに戻すにはやぶさかではない」という反応もあったって言ってたよね?
そして、以降ずっと「義の心」を前面に出してたよね?ふるさとに返そうという所有者の義の心に対しこちらも義の心で応えようみたいなの。
「知らなかったけど、パンフなどで理解してもらって、面会したらそういう縁があるなら上越市でもいいよ」ということだったといえばそうなんかもしれないけども、なんか釈然としない…けどそのモヤモヤをうまく説明できない。
ただ一回目の面会時に、所有者が10億円を提示した時点で、こりゃダメだと手を引くことはできなかったのだろうかということと、
その所有者の希望売却価格については市民には(市議には)全く知らされてなかったってのがなぁ。

おまけに、(質問中携帯でここ検索した)、今年の山鳥毛フォーラム、2月だったんだけどもその時点で既に所有者ゴネだしてるじゃん。
年末の説明会の時点でも迷走してるじゃん。
そういうのを全く出さなかったのがなんかモヤるんだよなー。
結局ホントのこと隠して、市民には「義の心」で期待・諦めさせてたんじゃないのかと。
所有者のやり方もなんだか…だし。

しかし、そのモヤモヤをうまく説明できない自分が非常に残念な自分なのである。。。
そのモヤモヤも自身の気持ちの問題であって、それを質すもんでもないような気もするし、なんかうまく片付けられそうだし。

そしてなんとなくうまくまとまらせて、閉会となったのでありました。


説明会が終わったのが15時45分。直江津学びの交流館で行われているクリスマスコンサートは16時まで。
行っても終わってるだろうなーとも思ったが、もしかしたらアンコールなどで延びてるかもしれないし、終わってても片付けなどあるだろうから顔見るだけでもいいや、と直江津へ。

行ってはみたが、やはりコンサートは終わってて出演者と観客それぞれが話ししてる状態でしたとさw
まあせっかく来たんだしそれで帰るのもなんなので撤収のお手伝い(?)を。
おわってたー
片付き~

出演者のみなさんに「よいお年を~」と会場を出る。
今日は聴きそびれたけどまあまたチャンスはあるだろう。

それにしても、刀の件についてはなんだかねー。
まあダメになったんだからそれはそれでしょうがない話だけど、時系列はこの通りなんだけど、その間にあったこと考えると、なんだかなーとも思っちゃうわな。うむー。
でも、担当の部署の(実働した)職員さんたちはその枠組みの中でできることを懸命にされていたと思う。

結局、越後人のこんじょよしというか、性善説を前提とした、私利におぼれない清廉潔白な「上杉謙信のイメージ像」とそれに付随する「義の心」を都合よく使われたのかもしれないね、上越市も上越市民もみなそれぞれに。


三八市とライオン像の家へ

講演・講習・説明会・勉強会、みたいなの
10 /28 2017
10/28 その1 朝市と直江津歴史講座へ

直江津のライオン像の家では三八市にあわせ建物の一般公開を行っている。
そしてそれだけではなくコンサートや講座なども開催しているのだ。
今日は直江津の歴史講座。

…の前に、三八市。
たまねぎ苗買わなきゃ~~!!
武将隊も
今日は武将隊の景勝さんとまつえ隊長とつばめちゃんが練り歩き。
おはようございまーす。
来てましたー
おつかれさまです~
もちっと話もしたかったけれど講座が始まるので本日これにて。

んで、ライオン像の家へ。
講座案内
今日は「近代文学にみる直江津」なのだ。
歴史講座
前半は~与謝野晶子編~。
講師は元高校教師の中澤武志さん。

与謝野晶子が夫の与謝野鉄幹とともに越後と佐渡に吟行旅行してるんだね。
船見公園にはその句碑もあるんだそうだ。
知らんかったなー。

・落日が珊瑚のいろを長く引く海に五つの大船の浮く (晶子)
・鱶の血に染まれるごとき船五つ入日に並ぶ直江津の沖 (鉄幹)

同じ風景を見ても、やはり出てくる句(感性)は違うもんなんだよなぁ。

詩吟旅行の話よりも、与謝野晶子と鉄幹と山川登美子の三角関係を中心としながらの鉄幹・晶子の性格や恋愛遍歴、思考などから与謝野晶子を、その句をひもとく、みたいな内容でしたな。
与謝野晶子は「君死に…」や「みだれ髪」位でなんとなく「情熱的な女性」なイメージだけの遠い人だったが、越佐…直江津にも訪れていることなどを知り、その距離がちょっと縮まったかな?
それにしても、明治大正の文系(イケメン)男子というものはなぜにこう女性に・恋に節操がないというかだからこそ女性が惹かれるというのかなんというか…(^_^;)

講座終わってちょっと休憩時間~
ライオン像の家
今日のライオン像の家
絵葉書屋
ひぐちさんの絵葉書屋さんとコーヒー&甘モノの提供もやっております。

そして第2部
語り

直江津ことばで
小松光代さんによる「安寿と厨子王」の語り。

読み語りではなく、そらでの語りなんである。すごい。
しかも上越・・・直江津の方言を使いながらの語り。
だから余計に地のモンというか距離が近づいて感じるというか。
おもしろかったー!
ありがとうございました!

ライオン像の家コーヒーを片手にふっと直江津の海へ
ヒメアカタテハ
ようやく撮らせてくれたヒメアカタテハ
海~
晩秋の直江津の海はおだやかに。

与謝野晶子と安寿と厨子王、まったく内容も違うけど「直江津」がベースの題材2つ、勉強になりました。
やはり知ることって楽しい。(たとえすぐ忘れたり脳の引き出しの奥にしまわれて開かなくなってしまったとしても)


平和展・2つの講話会へ

講演・講習・説明会・勉強会、みたいなの
08 /06 2017
8/6 平和展の講話会

上越市で毎年開催されている平和展。いつもなら2週間程の開催期間だが、今年はどうしたことか40日近い開催期間となっている。
講話会も広島被爆体験者の方だけのものではなく「上越での戦争」に関連した話も予定されている。

広島の被爆体験を話される寺本さんは7月に、上越の戦争・直江津捕虜収容所/名立機雷爆発事件については8月に…ということで、この日開催された上越にかかわりのある「戦争」の話を聞きに行ってきた。
上越の戦争にまつわる出来事の中で、代表的な直江津の捕虜収容所と名立の機雷爆発事件、どちらも知ってはいるけれど知らないことの方が多いからな。

開催が10時~となっていたので、チャリぶっ飛ばして会場の図書館に着いた時は一気に汗が噴出した状態だったのだが、実際のところ図書館施設そのものがオープンするのが10時なので講話会の開始は10時15分だったという。
ならもう少し速度落としてもよかったかも(笑)
まあおかげで開始の頃には汗が噴出すのも少し落ち着いてもいたが。

午前の部は
上越日豪協会会長 近藤芳一さんによる「直江津捕虜収容所と平和記念公園」。
はじまるよ
はじまりますー
近藤氏
近藤氏

直江津捕虜収容所。
昭和17年12月に開設。
300人のオーストラリア兵が収容される。
過酷な労働・環境の中60人の捕虜が亡くなる。
その後もイギリス・オランダ・アメリカなどの捕虜が700人ほど収容される。

終戦後、当時の収容所職員15人が戦争裁判でその責任を問われ、8人が処刑された。

という収容所なのである。
日記
オーストラリア兵の日記。しかしこれは日本軍の配給物なので検閲もあり表向きの良いことしか書かれていない。

家族に「僕は元気です」と送ったハガキの約一月後に亡くなった捕虜。
慣れない雪国の冬、悪化していく食糧事情や寒さもしのげない建物、そんな状況の中さらに過酷になっていく労働…
飢え、病気で斃れていく捕虜たち。

日本軍が兵士に叩き込んだこと
とはいっても
日本軍は死ぬことこそ最大の誉れと考えていた。
捕虜になって生きるより、生き恥をさらすより、死ねと。
そのため、各地で悲劇が起きるのだがそれは置いておく。

片やオーストラリアにも日本兵の捕虜収容所があった。
こちらは「死ぬことより生きること」が是。
相容れることのない2つの是。
収容所
そのため、捕虜収容所の日本兵は収容されても(自身と残された家族を慮り)偽名を使ったり、自決したりしていたそうだ。
そして、カウラの悲劇が起こる。

捕虜が増えたため、一部を別の収容所に移すことになり、それを知った日本兵捕虜たちは脱走を企てる。
昭和19年8月、1000人程の日本兵捕虜たちは自決のための脱走のために突撃する。
生きるための脱走ではなく死ぬための脱走。
この事件で日本兵は800人近く死傷し、オーストラリア兵も8人程の死傷者を出す。
脱走に成功した者たちも、その目的が自決なので、目的を達成してしまったのだろう。

という戦争の悲劇を経て、オーストラリア・カウラには日本人兵の墓地がある。
驚いたことにオーストラリアの人たちはこの墓地を日本の土地にしてくれたのだという。
しかし、偽名のままで永遠に肉親も故郷も分からない人もいるという。

戦争は終わり、時代も変わった。
しかし、だからといって、親を、兄弟を直江津捕虜収容所で亡くした人たちにとっては簡単に許せるものではない。
「戦争が悪い」だけでは遺族はやはり解決できない思いがあるだろう。

平成7年、かつての捕虜収容所跡地は平和を願う公園となった。
捕虜だったかつてのオーストラリア兵と、裁判で刑死した遺族がここで握手を交わした。
怒りと憎しみの先にある、和解。
以後上越日豪協会が設立され、直江津捕虜収容所での悲劇を語り継ぐとともに、両国の友好と世界の恒久平和への願いを発信している。。。

という内容だったが、その中でのカウラの悲劇について
「死ぬことが一番と教えられていたら、同じように相手に捕まったら、死ぬために逃げようと話を持ちかけられたら、あなたならどうする?」と問いかけがあったのだが、同じ問いをある中学での講話の中でしたらば拒否する(生きる)という意見が多い中、
でも、周りが賛成するという空気だったら、賛成してしまうかもしれないという意見もあったという。

日本人は空気読むというか同調圧力に乗ってしまうからねぇ・・・それがいい/悪いとは決め付けられないけど。
うーむ…

で、午前の部、終了。

蓮の花
ハスの花。

午後は
午後の部
中山冨士雄さんの「名立機雷爆破事件」。
中山さん
中山氏

名立機雷爆破事件。
昭和24年3月30日、沖から名立の浜に近づいてきた機雷を沖に押し戻そうとした海軍から復員した巡査が、その直前に岩に触れた機雷が大爆発を起こし巡査をはじめ、見に行った人たち63名が亡くなった。
説明
せっかく戦争からは帰ってきたのに、機雷で亡くなってしまった巡査も悲劇だが、この事件での更なる悲劇は、犠牲者に子供が多いことである。
今のような娯楽もそうあるわけではない時代、機雷が来た・それを押し戻すというある意味大イベントである、いくら大人が危ないからといっても(その大人も見に行っているのだし)興味しんしん、見に行ってしまうだろう。
そして当時は上の者が下の兄弟の子守をしていたため、幼児をおんぶしたまま見に行った子どももいる。

3つの石段から見ている大人と子供、そこに爆発が襲った。
機雷の爆発はストレートに見ているものたちを直撃した。
高田でもその音は焼山が、いや浅間山の爆発だといわれるほど轟いた、鋼鉄製の軍艦を沈めるほどの威力を持っている機雷。
至近距離にいた生身の人間などひとたまりもなかったことだろう。
そして、小学生36人、中学生7人、幼児13人、中学生以上7人が亡くなった。

講師の中山氏は、その時親の畑の手伝いで見に行けなかったために難を逃れたのだという。
時期的にジャガイモの植え付け時ということもあり、年長者は家の手伝いをしていることが多かったために難を逃れられたのかもしれない。
小学生で一番殉難したのは3年生。一番遊び盛りで親も「(手伝いならんし)遊んで来い」という頃だ。
そんな子たちが犠牲になってしまった。

戦争中ならいざ知らず、戦後4年の悲劇。
機雷の掃海作業が不十分だったために起こった事件。
この機雷はアメリカ製なのかソ連製なのかもわからない。連合国側は責任を逃れようと事件の原因究明を避けた。
占領下の一地方の事件など簡単に握りつぶされ、今もわからない。

そして遺族たちはこの殉難者たちの慰霊塔を建立し恒久平和を祈念しようとする。
寛延4年の名立くずれの供養塔と並んで記念碑(慰霊塔)が建てられることになった。
碑文は県民から公募したが結局名立中学の生徒のものが採用された。それは、

「碑銘  平和をまもる
碑文  一九四九年三月三十日
      ここ名立の海岸で
      機雷が爆発し
      六十三の尊いいのちが
      一瞬にほろびた
      罪のない他民族をころし
      祖国をあらした
      むごたらしい戦争の
      気の毒な犠牲者たちを
      なぐさめる道はただ一つ
      みんなが力をあわせて
      世界の平和をまもること
      ただこれ一つ」
というもの。

最後に中山氏の大事にしている一文を読み上げ、会は終了するのだが、
それはユネスコ憲章(前文)。
「戦争は心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなくてはならない」。

当時も今も、それは変わりなく。

講話会が終わってから平和展を見に行く。
捕虜収容所パネル
直江津捕虜収容所のパネル
位置
県内の捕虜収容所。新潟市の知ってる町にもあったのか…
破片
左は直江津空襲の破片、右が機雷の破片

ああ、やはり平和がいい。日常がいい。

平和展を出て、図書館への階段脇で見つけた。
サカキンさん
発酵の父、坂口謹一郎博士がデフォルメキャラになっている~
サカキンさんなんて名前になってる~(笑)

はすまつり中だしせっかくなので極楽橋を渡って行田の蓮を見てくることに。
行田のハスたち
ああー。「甲斐姫」も「行田古代蓮」ももうすっかり花が終わっていた…
八重蓮
蓮は八重のもあるんだね。

今日が8月6日というからではないが、どうか平和な時代が続きますように。


おまけ:
夜、近くで花火の音がする。見えないかなーと2階に上がって見てみる。
花火と月
月と花火
花火その2
花火。
あとからこの花火は上越妙高駅近くで開催されているオクトーバーフェストのエンディング花火ということを知った。
そういや今年はオクトーバーに行かなかったなぁ。プロースト!


それもこれも今の日本は平和だから。
どうかこの平和がずっとずっと続きますように。






しー

好き勝手に、
「今、を楽しめ」。


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