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善光寺へ初詣

長野おでかけ
01 /13 2015
1/13 善光寺へ初詣

毎年恒例の善光寺初詣、今年は天候などで松の内も過ぎてしまいちょっと遅くなったけれど、その年に初めて詣でることが「初詣」だということでれっつらごー!
(春日山への初詣は「神社」への、善光寺への初詣は「寺社」へのそれぞれ別の初の詣でということで←いつもながらの勝手な解釈)
今日の三山
今日の妙高連山。いいところが雲で…
今日の妙高
今日の妙高2015はじめ…は雲かかってる……

黒姫物産センター
黒姫物産センターに寄り道。気温が低いのでやっぱり雪の質が違う。締まってるよ生きてるよ。

善光寺に着きました。周辺は路駐禁のコーンがあちらこちらに。。。
そして、
地震の爪痕

こっちも
11月22日の白馬での地震、やはりこちらも強い揺れだったようで爪痕があちこちに。

善光寺
では、善光寺に詣でます。
おびんずるさんもしっかり撫でまくり。7日~15日までという御印文(ごいんもん)もしっかり頂戴いたします。

あ!
(古い)神社仏閣でよく見かける両脇の釜みたいなでっかいの。
ずっと謎だったお釜って。。。
すべてのなぞは解けた!
雨どいの水ここで受けるためのものなんだ!やっと意味がわかったーーー!!
善光寺のは「八功徳水(はっくどくすい)」と釜に記されているんだが、意味からすれば8つの徳(甘く冷たく軟らかく軽く清浄で臭くなく喉を傷めず腹を下さない)をもった水のことで、それは極楽浄土の池にたたえられているそうな。
で、単なる言葉の意味だけではなく法話などで使われるその言葉の意味は…深いなぁ。
今の世の中、蛇口から出る水、ペットボトルで売られている水、↑の性質を持ってはいるわけだけれど、果たしてその水を飲む人、水を必要とする人が、果たして「水のありがたさ」を感じられるか感じられないか、ただの水としか思えないか水に感謝できるかということを仏さんは示しておるらしい。
でも日本には「湯水のように使う」というたとえがあるくらいだからなぁ…

御札などの授与所に掲げられてた今年の書。
今年の「書」
「羊」という字は象形文字ってことがよくわかりますなぁ。

いつものように世尊院の釈迦堂へ。しかし残念ながら涅槃像の御開帳期間は終わっていたので見られず。
かつてここにあった
こちらのお地蔵さんのある場所、かつて(創建~1700年)善光寺の本堂の瑠璃壇があったそうだ。
こっちがわにあったのか…

大本願。
本理院さん
このお地蔵さんの由来→将軍家光の御台所として迎えられた孝子さん。しかし孝子さんと家光との間には子供がなく、家光没後、本理院として73才まで淋しい生涯を送ったそうな。そしてこの本理院さんの遺骨の一部は善光寺に納められたのだが、火災で焼失してしまったそうで、天保3年(1832)に大奥18名の女性たちが供養のために創建したものなんだって。
孝子さんと家光はむっちゃ仲が悪く、結婚してすぐ家光に事実上の離縁をされて大奥からも追放され御台所から中の丸様と称号も変えられて軟禁状態で家光から冷遇・忌み嫌われていた…らしい。

ひとにぎり地蔵さん
大本願のひとにぎり地蔵さん。にぎにぎ地蔵さんだけではなくも建立されました。
にぎにぎのひとにぎり地蔵さん、一家に一体のつもりでいたら授与所の女性が「一人一つが基本です」みたいなこと言うもんだから(商売上手w)まずは相方の分を。次に来た時は自分の分も…かな。灯明まつりもあるし御開帳もあるしまた来ること分かってるしね~

てくてくと大門まで下りてきました。
お昼時ではあったのだが、そんなにそばを欲していないし、ぱてぃお大門の中の食事処もなんかこれ!というもんでもない。どうすっかなー…
うーん…
ぱてぃお内に貼られていたポスター。うーん、隣の芝生は青いじゃないけど、なんか新潟というか上越、北陸新幹線は他県のPR度を比べると負けてる感強いなぁ…

今回は来た道を戻らずに西側の小路から参道に戻ることにしてくてく。
ん?お寺があるぞ。行ってみよう。ダライ・ラマさんとも縁があるお寺みたいだ。
西方寺
西方寺、っていうお寺だそうだ。
紫雲石
境内にあった石。紫雲石というらしい。こういう色の差があるわけではなくこれは上にある松の枝からの雪解け水が石を濡らしてるだけね。
で、石の由来看板読むと、この石に善導大師の頭がちょこんと乗ってたんだそうだ、同じ頃越後の海で頭のない像が引き上げられ、これらを合わせてみると一体の善導大師の像となりました、と。
で、この寺に安置されていたんだけれども、川中島合戦のあとに上杉景勝がこの像を奪って越後高田に安置し善導寺と名付けたそうで、そのことからこの寺は西方寺と名前を変えた…と。

でも、高田にある善導寺の由来はちょっと違うんだよな。
最初はこの寺直江津にあったそうだし、このお寺のご本尊の善導大師像、頭と体別々だったような感じ受けないよ?

それに西方寺の由来、別の案内板によれば開山が1199年だそうでその後今の場所に移転してから1504年に更に勢いをつけたそうで、その後の1615年、1700年の善光寺火災の時には西方寺が善光寺の仮本堂になっているらしい。
加えて時代は移り維新後の明治4年、県庁が中野からこの長野に移り西方寺を県庁として長野県が始まったという。
全同大師奪われたため寺の名前が変わったとは書かれてないんだけど、これも歴史のミステリー?

ダライ・ラマさん縁あり
このお寺、ダライ・ラマさんとも縁が深いようで、この仏像の開眼法要にも関わっているらしいし、それにちなんだ記念碑もあったりするのだ。

さらにてくてく。
長野市っぽい まとい~
長野市らしいりんごのマンホール蓋。消防のまといも「らしい」ね~

てくてくと久しぶりに西之門。
西之門~
試飲ができます。(酒だけでなく甘酒や漬物などの試食も)
本当は相方に飲ませたかったのだが、帰りの運転考えて…いただきます☆へへへ。
でも、4合瓶でもいちまんえんするような超高級な酒をうまいと思えなかったのは、平均価格的な方が飲みいいなおいしいなと感じたのは自分の舌がバカってことかw

これまた歴史ありそうな「三河屋洋傘店」気になったけど入ったら買わなきゃいけなそうだしな(^^;
三河屋さん
軒先にかかっていた色あせた初代{「マクロス」の子供傘も気になった…

結局遅いお昼は、
カツ丼
いつもの丸清さんになりました。みそ味のカツ丼は目玉焼きつきでなんともうまい♪
相方はもりそばセットにしたけれど写真は撮りそびれました☆まあ過去記事にもあるし…(^^;

再び善光寺。
宝篋印塔
宝篋印塔。北信で最古の逆修供養塔らしい。1397年の銘が入っているんだって。
義経の忠臣・佐藤兄弟。若くして戦死した二人の供養のために母親が善光寺に参詣して建立したものらしい。
源義経かぁ…

こちらには
釆女亮の碑
藤原釆女亮(ふじわらのうねめのすけ)の碑。この方は鎌倉時代の人だそうで髪結いをして生計を立てていたため理髪業の祖として理容関係者の信仰を集めてるんだそう。この碑は明治30年に建てられたそうだけど、周りにあるのはその後新たに建てられたものなんだろうな。
もともとのはこの大石?

こんなところでそろそろ帰りますか。帰路に着く。
志賀高原
いつもの峠道越えて(トンネルできたし新しい道もできて行きやすくなりました♪)「よこ亭」の駐車場で志賀高原の山々を眺める。ここからの景色は1955年の映画「野菊の如き君なりき」のロケにも使われたらしい。
映画的には「野菊の墓」の方が世代ですがww

冬の野尻湖がちょっくら気になって寄ってみるが、オフシーズンらしくどこもやってない。
ワカサギ釣りもやってるのかどうなのかよくわからんなぁ。あまり宣伝されてない。。。
グレートピークw
駐車場の真ん中に聳え立つ除雪山。岩山のようで神々しいぜwww
野尻湖
木々の間からの野尻湖なんだけれどよくわからんね(^^;

関田山脈
夕暮れに白く輝く関田の山々。

そして、道の駅あらいで値下げ半額のお寿司を夕食にしようと購入し無事帰宅。
今年もいい年になりますように。

あ、引いたおみくじは「末吉」でした。入ってた開運お守りは初の「達磨」だv
ま、そんなもんかな。(相方は「大吉」という…)
「もえ出ずる 若葉の色ぞ 美しき
  花さき 実る 末も見えつつ」と。


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しー

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「今、を楽しめ」。


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