五智国分寺へ - 神仏さん
FC2ブログ

五智国分寺へ

2020/01/31 五智国分寺へ

ちょっと思い立って五智国分寺へ

以前来たのはいつごろだっけ?と辿ってみたら2014年だった。→
えーもうそんなに経ってた?(時間間隔が(^^;)
五智国分寺入口
こんにちはー
如意輪観音
如意輪観音がお出迎え。これは江戸時代のものらしい。
前回来た時はオレンジの袈裟を着ていたけれど、もうやめちゃったのかなー?
レトロ
レトロな案内看板。でもこれはこれで味があるよね。
安国山
山門。こちらは安国山なんだそう。
仁王像
仁王像がお出迎え。
白山神社
白山神社の御神輿はここに収めてあります。
越後国分寺が西暦741年に創建されたとき、その守護神として建てられたそうだ。国府1にあるそうなのでそれはまたいつかの宿題に。春祭りには国分寺の本堂でここにある御神輿をわっしょいわっしょいさせるらしい。ほほー。
寺の守護神置くってことは、やっぱり神も仏も融合ってか、一緒にするの抵抗なかったってことだよな。
仏を護るカミ、なんだもん。
板碑
筆塚、なんかもある
銅像
胸像もある。ってことはお墓もあるのかな?
ちなみにこの方は荊木(いばらぎ)一久氏。この方は春日村の出で、弁護士から村会議員・県会議員を経て衆議院議員になるものの昭和27年に49才で亡くなるのだが、その早い死を惜しんでここに有志が像を建立したとある。書は芳澤謙吉。
六地蔵
六地蔵
これも
法華経五千部供養塔・江戸時代。隣には百万遍供養塔もあり。
当時は経文を多く読誦するのが功徳につながり、仏教修行の1つであったそう。
古そう
右は戦国時代の良弁僧正酷似像、真ん中は板碑(時代未詳)、左のはなんだろう。
良弁僧正というのは総国分寺開山の祖だそうで、謙信が五智国分寺をここに再建した時に大祖として像を建てたのではないかと。
これは?
墨字が褪せて読めなくなっているのでわからないけどこれも歴史ありそう
うおっ
うわ、石仏がいーーーーーっぱい。
上杉関連
昭和49年、五智4のNTT(当時は電報電話局)寮の造成工事中に見つかった五輪塔。
鎌倉時代のものらしい。
真ん中の白っぽいのは福井の笏谷石を使ったものだそうで。骨壺もあるらしい。
越後府中文化を知る重要な出土品だそうだ。
こちらも
こちらも歴史あるんだろうな…

しかし、ここやはりお寺だからお墓もいっぱい。お墓見るのは抵抗ないけど、歴史はあっても個人のものだったりするし、石仏も個人のお墓備え付けの場合もあるしそこらがわからないのが残念じゃ。
敷地内の碑やお地蔵さん、〇〇氏の墓、石仏…みたいな歴史物の五智国分寺マップ案内みたいなのあるといいのになー。
戦国時代~江戸、そして現在に至る長い年月、把握しきれてないかな…

北口
北口。この先は海。風が強く海鳴りが絶え間なく聞こえる。なんか自然への原始的な畏怖を感じる。
親鸞さん
そしてこちらは親鸞聖人とも関係がある地。すぐ近くの居多ヶ浜に親鸞が上陸したんだよね。
そしてここに竹之内草庵として最初に住んだそうだ。その跡地の碑。
こちらも
隣にも御配所?跡の碑があるぞ。
なにかな
奥右のは親鸞聖人の真筆を碑にしたもの。生誕800年記念に設置したそうだが、手前の手水?のわきのとがった石はなんだろう。
これもなんか意味あるものじゃないかと思うんだけど…
五智国分寺
こちらが五智国分寺。本堂には五体の如来さんがおるのだ。
阿弥陀如来と薬師如来、胎蔵界大日如来、宝生如来、釈迦如来なんだって。
覆いあってお目にかかれなかったけど。

もともとは奈良時代、天平13年(741)に聖武天皇の勅命により行基が開基した国分寺なんだけど、いろいろありまして。永禄5年(1562)に謙信が真言宗の寺院として再興し、江戸初期に謙信の甥俊海が天台宗の国分寺として中興し幕末まで寺領200石が寄せられていた…けど昭和63年に本堂を焼失し、平成9年に落慶法要となったそうで。

三重塔
こちらは三重塔。こちらは安政3年(1856年)に20年をかけて建て直されたそうで。
アップ
反対側から。
干支ねずみ
壁面の十二支彫刻。今年の干支にちなんで子を。

五智国分寺、さすがの古刹はまだまだ見るところあるなぁ。
また五智めぐりに来たいもんだね。


関連記事

コメント 0件

コメントはまだありません