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頚城区・瀧本邸へ

上越市内(イベント)おでかけ
06 /20 2010
6/20 くびきのお宝「瀧本邸」へ

上越にの代表的な豪農の館といえば、ここと三和の林富永邸、戸野目の旧保坂邸、安塚の飯田邸の4軒。
先日入浴施設に行った時、地方新聞をめくっていたらこの日1日だけ瀧本邸の公開があることを知る。
(同週末は林富永邸の公開もあり)

どんな豪農の館なのか前から気になっていたので、これは「行け」ってことだなと解釈してこの日の午後に行ってきた。
pさんからも「希望館に行けばすぐわかる」と聞いていたのだが正確な場所はわからずだったので、場所をネット検索したがやはり正確な場所は不明(検索ベタ)。でもやはり「駐車場は希望館」とヒットしたので、希望館行けばなんとかなるだろうと頚城区百間町へ。

黒ごま坦々麺 ジャージャーめん
お昼は久しぶりの「菜心」。ジャージャー麺は猫舌の自分には熱過ぎず冷た過ぎず適度な温度♪

希望館到着。しかしそれらしい看板も案内もない。でも近くなんだろうとぐるっと回ってみる。
1本前の道に出たら豪邸らしい塀、門には「瀧本邸一般公開」の立て看板。
おーここだここだと希望館に戻り車を置いて瀧本邸までの小路を歩く。家の周りはその都度作ったのか色んな種類の塀がめぐらされている。どの塀が一番いいのか比べるためとか?(まさかね)

尊徳くん
途中、大瀁(おおぶけ)小学校旧校舎跡の碑を見る。懐かしい二宮金治郎の像も。明治の初めここには温知塾と大瀁小学校があったそうな。

さて滝本邸。
どーんと門
薬医門と言われる門をくぐる。この門タイプは武家屋敷によく用いられてたそうだが、、上越地方では上越市寺町の寺院の山門によく使われていたそうで。

玄関っ!
中に入ると、歴史ある玄関がどーんと。でもその後ろは苔むした土台があるものの、既に杉が林立している。
玄関以外は既に取り壊されているそう。でも土台から考えるに豪邸だったんだろうな。
その先には…

奥に進めば地元のおかーちゃんたちのとん汁のサービス。自分にはすんごく熱くてなかなか食べられず。時間かかったけどおいしかったですよー

庭園側から懐徳亭
邸内に移築された懐徳亭は知命堂病院創始者の瀬尾氏の住宅の離れとして大正2年に建てられたもの。
いつ頃移築されたのは分からないが、書院造りの離れ、伝統建築の粋と技が。
ここから眺める庭園。いいねー・・・
かつては瀧本邸でもこんな風に風流味わっていたんだろう。
お茶サービスのおかーちゃんたち(この中に瀧本さんの奥様もいたらしい)からちらっと聞こえてきたのだが、瀧本邸は昭和25年か26年に取り壊したんだそうな。

庭園~
回遊式日本庭園散策。
「美」だねー。趣あるねー。別世界だねー。

茶室
茶屋や東屋もあるのだけど、やっぱりその当時からあったんだよね?

ふわふわ~
コケがふわんふわん。

こういう生活道具がイイ
小屋の中にも面白そうなものが♪ 紙が貴重だったことも伺えるなぁ。(この道具実際には天地逆で置かれてた)

井戸~
井戸もまだ現役・・・なんだけど、ミツバチが巣作っちゃって使えないんだそうだ。

移築された懐徳亭があるものの、門と玄関はあるものの瀧本邸自体は残ってないのが残念。
ご家族の方は現在別の所にお住まいとのことだが、邸内の管理はしっかりされているそうだ。
邸内にお墓と顕彰碑があったが、顕彰碑の方は読みきれず。

個人情報という壁があるのかもしれないけれど、願わくば「瀧本家のルーツ」とか、どれくらいの豪農で、残っているこの建造物がいつ頃のものだとか、百間町ではどのようなポジションだったのかというようなことも知ることができたならもっといいのにと思ったのだが・・・。
ガイドの方にちらっと聞いてみたのだが、その方のご先祖が江戸時代にこちらに来た以前には既に瀧本家はあったとのことだったんで、やはりそれなりの歴史があると思われるし。

それにしても、瀧本家と隣接してもう2軒の豪農というか大地主さんらしき敷地がある。
おそるべし百間町。こんな豪農3軒もすぐそばにあっていいのかー?
(姓が違うので一族とかではないと思われる)

11月にもこの一般公開が予定されているそう。
庭園の中では(とん汁以外)暑さもあまり感じずだったが、門から出たら蒸し暑い。あっちぇ~~~

十二神社
小路でみつけた十二神社。ここと瀧本邸の先の神社まで百間だったから「百間町」という説もあるそうだが、実際のところ百間(181m?)ではないそうな。

くびきのお宝・瀧本邸をも見てこれてよかったよかった。
次は戸野目の旧保坂邸にも行ってみたいもんだなぁ。
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しー

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