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医王寺薬師堂へ

ちょっとおさんぽ・おでかけ/武将隊
05 /05 2011
5/5 医王寺薬師堂へ

来客も午前中に引きあげ、一気に静かになったこの日は年に一度の金谷山医王寺薬師堂のご本尊御開帳。
前から御開帳の事は知っていたが、なかなか日が合わず行けずじまいでもう何年。

片付けもひと段落し、相方が帰宅するまでの午後数時間、ゴールデンウィークなんだしちったぁ自分もお出かけすっぞとチャリで金谷山にGo!

とはいえ、医王寺薬師堂、場所が不確か(^-^;
金谷山に入ったところに墓地あるし、まあ多分あの辺りだろうと当たりをつけ通常ルートからちょっと横道に入ってみる。
石の階段の下に「医王寺→」とあったのでそちらに進んでみたがお寺はなくお墓ばかり。
あれ?ちがうの?と階段まで戻りチャリを置いてその階段を上る。

薬師堂
そこにはお堂と薬師如来の幟。やっぱここだったんかい。
ま、階段あれば普通そっち上るよな。全く自分て。

お堂の前には数人の団体さん。なんかそぐわないへんなヤツだと不審がられるのも何なのでまずは案内板に目をやる。

医王寺薬師堂:医王寺の創建は前九年合戦、後三年合戦の折り源頼義、義家親子が堂宇を建立したのが始まりとされています。
江戸時代に入り高田藩が立藩すると医王寺のある方角が高田城からみると裏鬼門にあたる為、歴代藩主から庇護されます。特に寛永年間(1624~44)に建立された薬師堂は薬師如来を信仰していた時の藩主松平越後守光長の母、高田姫勝子が寄進したといわれています。
薬師堂の本尊である薬師如来像(銅造如来坐像)は奈良時代前半の白鳳期の作と推定される古仏で、童顔童身の姿は金谷薬師として信仰の対象となり「田舎なれども金谷の薬師 花の高田は目の下だ」と歌われるほどでした。
薬師如来像(銅造如来坐像)は平成3年に国指定重要文化財に指定されています。


へー・・・奈良時代かぁ。すげーなー・・・
そんな薬師さんに会えるのか。わくわく。

読んでいるうちに団体さんはいなくなっていたのでお堂に近づく。中をのぞいてみるけどご本尊はおられない。
廟の扉は閉まっているし、ご住職もおられない。
重要文化財があるってがに、なんて無用心な・・・とちらっと思いながらお堂の中をのぞきこむ。

お堂内
ご本尊、おられんなー…

このまま立ち去るのもなんだし、別の案内板に目を通したりしていると、ご住職らしき方が戻ってきた。
お堂をまた見に行くと、ご住職が1つで申し訳ないけどと今日の縁日に因んだ(護摩焚きにあげた)お菓子を手渡してくださった。
ありがとうございました

お礼を兼ね御開帳のことを確認してみたら、大体10時半~14時半くらいなんだそうだ。
自分が到着したのが15時過ぎ、完全アウトだったのか。
また次回の宿題になったね。しょうがない。
ご住職、ありがとうございました。

苔むした石仏
いいねー、この苔むした感。

八重桜満開
八重桜が満開だー

道を下れば高田藩士の戊辰戦争の慰霊塔。
戊辰戦争慰霊碑

しかしそのことについては特に案内があるわけではないみたいだ。
墓地の看板から読み取るに、どうやらここは高田藩士縁者というか子孫の墓地のようで。
(部外者立ち入り禁止ともあったし)
藩士であっても個人、もちろんその子孫も全くの個人であるのだから、関係ないヤツにずけずけ入り込まれたくはないわな。

でも「歴史的」に古いお墓見るの好きなんだな。ああ、江戸や明治からここに眠られてるんだ…みたいに。
やっぱヘンですかねー。

その看板に書かれていた池(龍臥池だったか臥龍池だったか)へ。
龍が護っているだろう
龍は水を司るといわれているし、きっと当時大事な農業ため池だったんだろう。

その脇にはお稲荷さん。
ここも大貫の人たちの信仰のよりどころだったんだろうな。
おいなりさん

うーん何気にパワースポット(^^ゞ ←こういう言い方は好きではないけど
でも何十年、何百年と「信仰」する/されるという念、寺社周りにはやはりあるのだろうと。
当時の信仰心ってのは今よりもっと深く、もっと身近なものだったろうし。

なんて言ってますが、自分、菩薩と如来と明王などなどそういう仏教知識なーーんも持っておりません。
もちろん自分の中では「宗派」なるものもありません。
そーいうのはまーったく知らないクセに神社仏閣古いもの好きの上、神様仏様がもっと身近だった当時の民衆の信仰心に惹かれるんだなぁ。

なんか脱線してしまったけど、いにしえに触れた後は気分180度転換、イマドキのマンガ読みに行っちゃってたりするんだなこの人は。
説得力ナッシング(笑)

しかし、勉強不足で知らなかったが、この薬師堂には小田嶽夫氏の文学碑もあるそうだ。見逃してたー!!
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コメント

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お教えください

始めまして。
私は、仮題「金谷山の歴史散歩」ビデオ制作を計画しています。
金谷山頂の高橋惣太郎碑・医王寺・戊辰戦争官軍墓地・会津墓地等に付きまして、お話を伺いたいと存じます。
よろしくお願いいたします。

深井さんへ

はじめまして。
コメントありがとうございます。

ビデオ制作とのことですが、金谷山の歴史については私もよく知らないのです。
上越市の史跡に関する書籍や現地の案内看板に記載されている事項で
ふむふむと思う程度なもので。
きっと深井さんが既知のことばかりだと思います。

ご希望に添えず申し訳ありません・・・

ビデオ完成しました

しーさん こんばんは。
ビデオ「金谷山歴史散歩」の制作が終わり、7月の毎週火曜日17時30分からのJCVくびき野みんなのテレビ局の中で放送されますので、お知らせいたします。
関係の皆さん宛に出した案内文を載せますので、ご覧下さい。

金谷山歴史散歩 放映のお知らせ

前略、小生この度、ビデオ「金谷山歴散歩」を制作。JCVくびき野みんなのテレビ局での放送が決まりましたので、ご案内いたします。

本作品、制作のきっかけは、アスターク同人ブログで、2月に船山さんが友人を案内し金谷山に行き、石碑の前で写した写真を見た事に始まります。
早速、私は地図で確認したところ、金谷山(145m)と言う記載を見つけ金谷山の存在を知りました。そして3月16日金谷山スキー場白旗山の斜面を登り、道を探したところ、稜線の道はスキー距離コス―でした。当時は、マンサクの花が咲いていた頃で、石碑は簡単に見つかりました。
石碑の前に立ち「高橋惣太郎一治奥津紀」の文字を見た時、この人物はどのような業績を残した人なのか。何故、ここにこの碑があるのか。どのような手段で運び上げたのか。奥津紀とは何か。に疑問と興味が湧いてきました。
その後、高橋惣太郎氏を探すために聞きまわり、高田図書館で高田市史に載っている事を教えて頂きました。
石碑を見た帰り、対米館の前で星野實さんのお姿を見つけ、初対面でしたが質問しました。星野さんは、スキージャンプの選手として活躍された後、県スキー連盟の役員を務められています。星野さんは正に『金谷山の生き字引』で、星野さんから沢山お話を聞き、貴重な写真のご提供を頂きました。
また、星野さんは薬師堂「銅造如来坐像」の国指定重要文化財登録にご尽力された事を知り、御開帳の撮影となりました。
史跡説明に付きましては、星野さんに説明して下さる方をお尋ねしたところ、佐藤仁(しのぶ)さんを紹介して下さいました。
折しも、NHK大河ドラマ「八重の桜」放映中であり、何としても戊申戦争戦死者墓地・会津墓地を取り上げたいとの思いが叶いました。
星野さん・佐藤さんのご協力。並びに、資料提供・ご教授を頂いた各位にあつく御礼申し上げます。
                        
                               草々
放送は、JCVで7月毎週火曜日17時30分~くびき野みんなのテレビ局で放送されます。
また、土曜日14時~・日曜日7時~・15時~の1時間番組でも放送されます。
拙いビデオ作品ですが、ご覧頂きたいと存じます。
         

深井さんへ

おはようございます。

みんテレ放送おめでとうございます。
でも10分ほどでは入りきれなそうな内容ですね。
放映楽しみにしております。

それにしても、この春一気に高橋惣太郎の石碑に日の目があたり
深井さんや上越有線などで取り上げてられて、もしかしたら惣太郎さんが没後何年とかで引き寄せたのかもしれませんね。

会津藩としては、高田藩に対してあまりいい感情を持っていなかったのもわかりますが、こういうこともあったんだよというのも知っていただきたいですね。
墓地の位置は時代的に不遇な場所でもありますが。。。

ともかく、放映期待しています。

しー

好き勝手に、
「今、を楽しめ」。


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