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岩ノ原遺跡現地説明会その2

講演・講習・説明会・勉強会、みたいなの
11 /18 2006
10/7に岩ノ原遺跡の第一回目が開催されたが(こちら)、遺構調査の中で、
この遺構が東大寺領石井庄の荘園の中心施設「庄所(しょうどころ)(庄家)」の一部であることが
今月15日判明した。
庄所の遺跡は県内初の発見ということで、18日、二回目の現地説明会が開催された。


 場所はこんなところです
DSCN5161.jpg

<荘園とは>

723年、三世一身法が発布されたが期限付きのため開墾は下火となった。
そこで政府は新たな推進策として743年に墾田永年私財法を発布した。
同法は墾田の永年私有を認めるものだったため、資本を持つ中央貴族・大寺社・地方の富豪(かつての豪族層)は活発に開墾を行い、大規模な土地私有が出現することとなった。
大規模な私有土地を経営するため、現地に管理事務所・倉庫がおかれたが、これを「荘」と称した。そして「荘」の管理区域を「荘園」と呼称した。
#庄所(庄家)とは荘園の現地管理事務所である



とにかく、東大寺が「上越のこの場所いいねっけ」とこの地に荘園の現地管理事務所を置いたわけですな。
すぐ脇を儀明川が流れているので、物流運ぶのも都合がよかったのだろうとのこと。

DSCN5163.jpg
こちら側(川沿い)の3棟は倉庫であったのだろうと推定。
(柱も多いのだが、住居にするには狭すぎるので倉庫だろうと)
1棟は高床式、1棟は棟持柱を持つ作りだったらしい。
奥の木株、もし言葉が話せるのなら当時のことを教えてほしい。

DSCN5182.jpg 
前回のエントリでも載せたが礎板(そばん)。当時既に「のこぎり」なるものが存在していたんだからすごいわな。鉋も?

DSCN5179.jpg こちらは心柱があり寄棟造りと推定

DSCN5187.jpg
 二重つくりで四面に廂(ひさし)がついていた?庄所の中心??

DSCN5192.jpg 当時の柱にも聞いてみたい

DSCN5196.jpg 井戸を埋めるときのおまじない?らしい。
「埋めてよし(梅と葦)」みたいなの?

DSCN5199.jpg 転用硯。硯の代用品とのこと。地方だしね。

出土遺物は前回とそう変わらなかったが、8世紀終わり~9世紀中頃にここらに荘園があって
庄家もあって当時の人たちが生きていたんだなーと思うとなんかすごくスゴイ。
新幹線工事のために遥かな時代を経て蘇った荘園石井庄。
調査が済んだら再度遺跡は深い眠りについてしまうだろう。
前回同様、奈良時代平安時代の歴史ロマンに浸らせてもらい、いい時間を過ごさせてもらった。
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