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釜蓋遺跡説明会

講演・講習・説明会・勉強会、みたいなの
06 /24 2012
6/24 釜蓋(かまぶた)遺跡説明会へ

この日は市が開催した釜蓋遺跡の説明会。
ここと吹上遺跡、斐太遺跡は国指定の「史跡 斐太遺跡群」と呼ばれている。
吹上を真ん中に、およそ1.5km間隔でこの遺跡(ムラ)が位置しているのだが、古代、どんな生活が営まれていたのだろう。

この遺跡群は弥生時代のもの。
斐太ムラは今から1900年ほど前、水のない壕で囲まれていたムラ。竪穴建物が半埋没の状態で多く見られるそう。
吹上ムラは2200年ほど前のムラ。糸魚川のヒスイを使い勾玉の加工産地だったそうでかなり豊かなムラだったらしい。
そして釜蓋ムラは1800ほど前のムラ。ここは大きな濠で囲まれた環濠集落であり、濠と隣接する川を利用し船で物資を運ぶ物流中心の集落だったらしい。
(ほりはほりでも、濠=水のあるもの、壕=水のないものと分けられている)

ちょっと時差はあるものの、そう遠くないこの3つのムラ、奴奈川姫エリアの中での上越地域の中心だったのではないだろうかと見られているのだ。(頸城黒姫山、長野黒姫山、刈羽黒姫山に囲まれたエリアが奴奈川姫の統治エリアという説がある)

で、今日はこの釜蓋遺跡の見学会。でもここの遺跡は見るだけならいつも見られるらしい。

当時もこんな山の風景?
建物は別として、当時もこんな風景が広がっていたのかなぁ。

弥生人です
市の担当者も弥生人になりきって。

濠のあと
白い線内が濠があったところ

川のあと
当時の川の断面。こんな感じで川があったワケか。

川から発掘された水に守られていたので酸化せず土器はすべすべで状態もいいとのこと。
左土中、右川跡から発掘された土器
(比較のため時系列的にはあとの展示資料をここに持ってきました。
水バリアされてた土器は左と比べると確かにすべっこそう)

でもだからといって土器も当時のまま(割れずに)残っているもんじゃないんだよね~
そりゃそーだ。
状態から川の流れはなだらかだったらしいね。

この木何の木木になる木
川跡から見つかった木。何の木かは不明。

これだけの木が運ばれるほどの流れがあったってことは、大雨による川の氾濫か、
それとも集落にあった大木が大雪によりどうにかなっちゃったのか、分析結果が待たれている。

炭化米
そして県内有数の大きさだという消失した竪穴式建物からは炭化したコメがたくさん見つかっているそう。
焼けたのは火災か、戦か、果たして??

ドロ洗い中
その土を水に溶かしてフルイにかけるの図。
ガラス玉なんかも見つかったそう。

ガラス玉
その発見された青のガラス玉。ちっこいけどきれい。ガラス技術もあったんだなぁ・・・

と、歴史に浸った後、お昼は新井の清里軽食堂。
前から気になっていたけど、やっと行けた。

タンタン麺 みそラーメン
タンタン麺とみそラーメン。癖になりそうな味だ♪
ごちそうさまでした~

弥生時代、文献などの歴史資料もない。発掘されたものから推測するだけの時代。
深まる歴史ロマン。

ただ、彼らがいて、綿々と繋がってきた命のリレーがあるからこそ今の時代の自分たちがいる。
そう考えるとすごいなぁ。
弥生の人たち、ありがとう。
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しー

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