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金谷山へ

ちょっとおさんぽ・おでかけ/武将隊
04 /09 2013
4/9 金谷山へ


相方が通っていた小学校の分校閉校記念誌に『金谷山スキー場の、旧白旗山シャンツェの北西五〇〇メートル、一五九.二メートル高地に一基の石碑がある。太さ五〇センチ角、高さ約三メートルの花崗岩柱・・・』という表記がある。
これを読んだ相方(既に卒業していたが)今は亡き父親に聞いたところ、その石碑はあるという。

石碑が気になりつつそれから幾年月ウン十年、ようやくその石碑の存在を確認しに出かけたのであった。

春が進めば緑が、ヤブが濃くなる、夏は暑いし冬は雪がハンパない。雪が消え緑が芽吹く前の今がチャンスなんだよね。
ただ地図上では159.2m表記はなく145mなんだけど・・・

それはそれとして、金谷山の下の駐車場に車を置き、向山からいざスタート!

水芭蕉
下の池には水芭蕉。

途中カタコがぽつぽつと咲いている。レルヒ像もどんどん低くなっていく。

白籏山から
向山から白旗山へ。ボブスレーの脇を抜け登山道?へ。
ここは以前遠足でも使えるようにとブルで道を開いたそうな。
なので多少のツルなどはあるが歩きやすい道。送電線の巡視路になると更に道はよくなる。
そしてここはイワカガミの群生地。まだ花は咲いていないが葉っぱが一面。

桜と南葉山
マンサクにヤマザクラ、足元にはカタコ。
・・・でー!ひらひらと横切ったのは、ギフチョウではないの!
うわー、撮りたい・・・

今は?
朽ちて落ちていた看板。大町小の藤木さん、今のここの姿見たらどう思うかな。

マンサク
マンサク

ずんずんずんずん進んでいく。道がちょっと下がっているので、小高いところを見ながら行くと
あ、あったーーーー!!
スタートから40分ほどで石碑に到着。
あったぁ!
「高橋惣太郎一治奥津紀」
でっけー!!
碑文には建立年月日は書かれていないが、上部が破損されている常夜灯には大正十貮年と刻まれている。
およそ90年前か・・・。

その頃、重機もないだろうに牛に運ばせたのか、とにかく機械ではなく人の力だよね。
3mほどの長さの石碑、ここまで・・・たいしたもんだよな。

記念誌によると、この高橋惣太郎という方の家は南本町二丁目、三郷線入口にありで明治から昭和初頭にかけて酒造業を営んでいたそうだ。屋号は信濃屋。
市政の発展にも盡力し、数々の功績を残して他界したそうだが、その遺言によって寺に墓は建立せず辞世の句とともに石碑をこの山頂に建てた。
彼の死後酒造業は廃業したが、薬種商を営んで現在に至っている(現在は不明)
酒造業の盛んであった当時、その燃料はすべて集落から買い取ったそうだ。

石碑の裏側に書かれている辞世の句は
「いざここに わがのちのよを さだめまし まつかぜのおと たえずきくべく」。
※実際は漢字かな混じり文なので(「多え須幾く遍久」のように)ひらがな表記にしました

90年前か・・・
ただ、そのあとはあまり管理というか歴史の中に埋もれてしまっているよう。
建てられた当時はきっと松の中眺めもよかったであろう山頂も今は倒木に雑木に覆われている。
スキー場としての金谷山の山頂自体もだけど、(三角点が見つけられなかったので断定はできないが地図から見てもここが山頂かと)山頂にこんな石碑があることはほとんど知られていないんじゃないかな。
市政にも協力していたらしいし南本町の歴史に詳しい方とか、なにか資料ないかなー。
図書館とかにもないだろうか。(さすがにネット検索ではヒットしなかった・・・)
明治から昭和初期の南本町の結構羽振りのよい造り酒屋・・・
惣太郎さーーん!!

その後送電線巡視路に沿ってもうちょっと先に行ったが、折り返して来た道を戻る。
帰りはやはりあっという間。

ありがと
多分ツマグロヒョウモン?がひらひらしていたので写真撮らせてくれと念じたらその気持ちが届いたのか止まってくれた。とはいえ距離があるのでなかなかズームで探し出せずやっと撮れた。ありがとね!
(追記:エルタテハかヒオドシチョウではないかということです。Tさんありがとう!)

途中ギフチョウもひらひらと。さっきみたいに「お願いだからしばし止まって写真撮らせて!」と念じたらそれが通じたのか道に止まってくれたのだが、カメラのズームで捕らえきれないうちに「残念、時間切れ~」と再び飛んでいってしまった。ううー、残念じゃー。

下から
惣太郎さんの碑を下の道から。手前の三角は多分常夜灯の頭部だと思われ。

イワカガミ
イワカガミのつぼみみっけ。

ボブスレーに沿って下り、ホタルの里を散策。

告
ホタルに言われてるよ

そこから上がっていくとありました。
アンテナ
FM-Jのアンテナ。いつもお世話になってます。

スキー発祥之地
そして「大日本スキー発祥之地」の石碑。
昭和5年建立だという。
レルヒ少佐がスキーを伝えた20年後に建てたんだそうな。
大日本という言葉が時代を感じさせるね。

展望台があるので上ってみる。
展望台から
うっひょー!眺めいいー!

こちらはS38年
昭和38年に建てられたスキー距離コース完成記念碑。
今は使われてないらしい。

うーん、山に歴史あり。
今まで知らなかった金谷山を知ることができました。
今まで以上に親近感だね。

でも、ミスミソウもあると聞いていたんだけど見つけられず残念。
金谷山、何気に奥深いぜ。

------------
高橋惣太郎氏について何かご存知の方こそっとでも教えていただけたら幸いです。

5/31追記:上越有線放送の方からいろいろ調べていただきました。
深謝いたします。
記事はこちら↓
http://www.jhk.or.jp/newspage/2013/hurusato2.html
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コメント

非公開コメント

ちょうちょは

エルタテハかヒオドシチョウじゃないかなぁ…
(決め手の後翅の前縁部の模様か裏側の模様がわからないので…)
ギフチョウさん、残念でした。
ゲンジボタルの看板、耳痛いです。

つぶらさんへ

こんにちは。
コメントありがとうございます。
蝶、教えてくださって感謝です。
お山でも結構見かけるんだけど、私の目にはみんなヒョウモンに見えてしまう・・・ごめんね蝶さん。

ギフチョウ、今回はその姿を捉えられなかったけど、次はがんばりたいです。

ゲンジボタルの告げ、肝に銘じました・・・。

高橋惣太郎

ブログを拝見しヒントを頂きました。
高橋惣太郎一治之奥津紀の碑に付いて、私が聞いていた内容確認のため、早速、調査して来ました。
結果、関係者が判明し直接お話をお聞きすることが出来ました。
ただ、記録がなく詳しい経緯については不明で、多分そうであったろうとの話でした。
碑は、高橋家が自費で建立したそうで、雪の上を運んだと言われてるとお聞きしました。
一治之奥津紀について、この文字は何を示しているのでしょうか。ご存知でしょうか。
差支えなかったらお目に掛かり、お話をお聞きしたいと存じます。
よろしくお願い申し上げます。

奥津紀

深井さん、情報ありがとうございます。
そうなのですか。
あれだけのものどうやって運んだのかと思ってましたが
冬の雪道だったのですね。

「奥津紀」は奥墓(オクツキ)、万葉集に於久都奇(オクツキ)と言う言葉があるようなのですが、本居宣長の『寛永版本万葉和歌集』に「於久都奇(オクツキ)、墓ナリ」と書き添えてあったそうです。
本居宣長当人の遺言書にも当初の碑文「奥津紀」を「奥墓」に改めたとのことです。
(「奥津紀」で検索したら出てきました)

「一治」は、私の推測ですが、幼名みたいなものではないだろうかと。
昔の方は名前いくつも持ってたようなので、それなんじゃないかなと思います。
「高橋惣太郎一治 之(の) 奥津紀(はか)」

本居宣長は一族の墓に合葬されるのを望まず、遺言で個人の墓(オクツキ)を希望したそうなので、もしかしたら高橋惣太郎と言う方は、
本居宣長のように、という思いがあったのかもしれませんね。

一治奥津紀

ありがとうございました。
私は、yahoo知恵袋を使って調べた結果が以下です。

名前の下にまた別の名前を書くということもありますが,「一治」は「一代」と同じ意味だと思いますよ。
「治」という字は「おさめる」という意味で,〇〇将軍の「治世」という意味で使いますが,治世の「世」=「代」と同じく「時代」という意味でも使います。
奥津紀(おくつき)は先の方の回答の通りに墓所という意味ですから,「○○○○○一代の墓」ということになります。

この様に早く解決するとは、思いませんでした。
これからも、よろしくお願いいたします。

ふむふむ

深井さんこんばんは。

「一治」=「一代」なんですか。
知らなかった・・・

それにしても、先祖代々の墓ではなく、個人一代の墓を希望した高橋惣太郎さんという方はどんな方だったんでしょうね。

金谷山の謎の石碑、私もずっと気になっていたんです。前にちょっと聞いたのと違いますが これが本当だと思います。これでスッキリです。この道、けっこう歩いたり走ったりする人いるんですよ。

金谷山への道

いろいろとお教えいただきありがとうございました。
高橋惣太郎氏は高田市史に出ていました。
明治2年(1869)町年寄りを市長に名主を町頭に改称し、初代市長に任命された4人の中の1人とありました。
これ以外は、まだ不明です。
高橋慶次郎氏は、惣太郎の弟と思われます。この慶次郎氏は大きく事業を展開していたようです。
ところで、写真の「昭和38年に建てられたスキー距離コース完成記念碑」はどこにあるのでしょうか。位置をお教えください。
また、このスキー距離コースは私の記憶では、宇津尾あたりから尾根伝いに金谷山まで繋がっていると思います。下草を刈れば素晴らしいハイキングコース(四季を通じ)になると思います。整備したいですね。

やまねさんへ

コメントありがとうございます。
返信より先にお邪魔させていただきました(^^ゞ
やっぱり「やまねさん」だったのですね!
私は「の」が頭文字のヤツです☆

こちらでもラジオでもよろしくお願いしますね~♪

深井さんへ

惣太郎さん(馴れ馴れしいな(^^;)、市史に載っていたのですか。
初代市長に任命された4人の中の1人・・・ということは、初代市長は4人いたってことになるのですか?
だとしたら、かつての市長さんなんだし、案内板の一つや二つあってもいいような気もするのですが・・・どうなんだろ。

「スキー距離コース完成記念碑」はスキー資料館の上に上っていくと
大きな丸い展望台があるのですが、そこに立っています。
碑のみで実際の距離コースはどんなだかわかりませんが、金谷山トレイルみたいなルートができると楽しめそうですね。

市長について

高田市史によると、4人の町年寄りが市長に改称とあります。
明治2年には高田は市制をひいていなかったと思うので、疑問に思うところです。
因みに4人の氏名は、森繁右衛門・倉石重三郎・山岸光徹・高橋惣太郎です。
4氏の名前から推測するに、現在の東本町・本町・南本町までの町人居住区に配置しているように思われます。(素人の推測です)
距離コース完成記念碑の位置、ありがとうございました。

深井さんへ

それまた不思議な話ですね。
市制、どうなってたんだろう。。。
4人の市長というのも今に当てはめると首を傾げてしまいます。
色々と教えてくださってありがとうございます。

距離コース完成記念碑、うまく説明できてないかもですが、
現地に行かれればお分かりになるかと思います。

距離コース完成記念碑

しーさん こんばんは。
今日、撮影ポイント下見を兼ね医王寺・展望台・距離コース完成記念碑・薩藩戦死者墓を見て回りました。
記念碑の裏を確認したら、距離コースは自衛隊が整備したようですね。

5日の医王寺御開帳から撮影を開始する予定です。
これからも、お教えください。よろしくお願いいたします。

深井さんへ

こんばんは。
その日私も天気がよかったので医王寺付近をうろうろしておりました。
もしかしたらすれ違っていたのかもしれませんね。
5日の御開帳、今年は見てみたいと思っていますが、難しいかなあ。
撮影がんばってくださいね。

完成記念碑、判明したようでよかったです。
私のほうが教えていただく側ですよ。今後ともよろしくお願いいたします。

こんばんは

昨日は、ビデオ撮影してきました。
お会いできるかな?と思っていましたが、残念でした。
参拝者が大勢いましたね。
真言宗は中庸?「金持ちはほどほどに・貧乏人もほどほどに」のご住職の話中々でした。
教育委員会の中西課長の話も興味深々でした。
高田城の石高は、75万石・60万石どちらが正しいのか、質問する機会を逸してしまいました。
来年は、高田開府400年、御開帳も一層賑やかになることを祈っています。

ところで、奥津について
下の駐車場から薬師堂に向かう道の左側に、下井家之奥津城と刻まれたお墓がありました。
奥津はやはりお墓を意味している事を確認しました。

深井さんへ

おはようございます。
結局その日は行けませんでした・・・
講話や市の方の話もあるのですか。
来年こそは。。。

神道のお墓では「奥城/奥津城(おくつき)」と表示するものもあるようですね。

ご無沙汰しています

おはようございます。
高橋惣太郎の碑に感心を持ち、ついでに金谷山の史跡を紹介したビデオ『金谷山歴史散歩』昨日、編集を終了しました。
予定では、来月のJCVくびき野みんなのテレビ局の中で放送する予定です。
内容は、地図にある金谷山(惣太郎の碑)・スキージャンプ台の変遷・薬師堂
の御開帳・史跡紹介と幅を広めすぎました。
放送日時が決まりましたらご連絡します。

深井さんへ

深井さんおはようございます。
番組編集おつかれさまでした。
放映は来月ですか。
楽しみにしていますね(^^)

ふるさと再発見② ~金谷山山頂の謎の石碑~

こんばんは。
私が取材している時に、上越有線放送も高橋惣太郎一治奥津紀を取材に来たと、対米館の星野實さんから聞いていました。
今日、その事を思い出し検索したところ、表題の記事が見つかりました。
http://www.jhk.or.jp/newspage/2013/hurusato2.html
黒田小学校塩荷谷分校の閉校記念誌に記載が有ったとの事ですね。

老婆心ながらお知らせします。

そうなんです

深井さんこんにちは。
上越有線さんの番組聞きました。
サイトのご連絡ありがとうございます。

この碑、閉校記念誌に記載されていたので、相方が長年ずっと気になっていたんです。

有線さんとみんテレさんでこの石碑の存在がクローズアップされて、もうちょっと詳しいこと知っておられる方が出てこられるとよいですね。

しー

好き勝手に、
「今、を楽しめ」。


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